世紀末アート連載第1回 幻の夜「アンリ・ルソーの夕べ」

この連載は、筆者が好きな19世紀末から20世紀初頭にかけての西洋美術について語るだけのものです。

ドクナック – Bridgeman, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=53510591による
目次

アンリ・ルソーについて

「好きな画家が誰か?」という質問(あまりされない質問ではありますが…必然的に自主的に発言していることの方が多い)をされた時、筆者は必ずアンリ・ルソーと答えています。筆者が絵画に興味を持つようになったキッカケの人物でもあり、最も好きな絵画の作者でもあるからです。
アンリ・ルソーを語る上では、よく「日曜画家」や「素朴派」というキーワードで表現されます。
「日曜画家」とは、今でいうところの、いわゆる「趣味で絵を描いていて、たまにお金もらってる人」くらいの感じです。また、「素朴派」というのはちゃんと絵の教育を受けていない人による作品に対して評される際に使われており、アンリ・ルソーはまさに「素朴派」の代表とされています。現代的に彼のことを表現すると、趣味でPIXIVによく画像を投稿しているあんまり上手じゃない絵師といった感じかもしれません。重要なのは「あんまり上手じゃない」というところです。アンリ・ルソーの絵が上手か下手かについては長年議論されており、原田マハ氏の傑作「楽園のカンヴァス」の主人公は、アンリ・ルソーは実は絵が上手だったという説について画期的な論文を発表したという設定になっていたりします。筆者の率直な感想を述べると、「絶対下手!」です。それくらいにインパクトのある作品を描いているのです。
では、なぜ彼の絵が好きなのか。簡単に言ってしまえば、魅力的だからです。下手とか上手とかではなく、不思議な魅力を持った絵は初めて、みたときに衝撃を覚えました。現代でも絵を描く時、ほとんどの場合は初めは誰かの絵を模写しながら描き方を覚えていき、いろいろな人から情報を吸収して少しずつ真似をしながら自分の絵にしていくと思います。19世紀末当時も同様かむしろそれ以上で、基本的には有名な画家に弟子入りしたり学校に通ったりして当時流行っていた絵を学び、教えに沿った絵を描いている人が多かったのです。しかし、彼の絵は完全オリジナル、誰の絵の特徴も入っていない、彼自身から純粋に産み出された純度100%「アンリ・ルソーの絵」なのです。これって結構すごいことじゃないでしょうか?その凄さについて、気がついて称賛していた人物の一人にかの有名なパブロ・ピカソがいます。アンリ・ルソーは生前はほとんど評価されることはなかったですが、ピカソは彼の絵を称賛し、画材屋で購入したルソーの絵を生涯大切に保有していました。そして、ピカソは生前のアンリ・ルソーを讃えるため「アンリ・ルソーの夕べ」という宴まで開催していたほどです。
さて、あまりにも好きすぎて前置きが長くなってしまいました。
ここでは、アンリ・ルソーの魅力と、作品について紹介しつつ、筆者が魅力を感じるポイントについて語ろうと思います。

アンリ・ルソーの生涯

アンリ・ルソーは1844年にフランスの北西部ラヴァルという田舎で誕生し、1910年にはフランス パリで亡くなっています。
彼の産まれた年は絵画史としては絶妙で、歳が近い人で言うとクロード・モネが1840年生まれ、フィンセント・ファン・ゴッホが1853年生まれなので、ちょうど「印象派」と呼ばれる人たちの世代と「ポスト印象派」と呼ばれる世代の中間くらいです。また、作品が世にで始めたのが1900年くらいで、現代美術へと繋がる転換期です。この絶妙な時代に生まれたからこそ、彼の絵は世に出てくることができ、そして現代美術を前進させるきっかけにもなったと筆者は考えています。
元々ルソーは入市税関(物資をパリに運び入れるときに税金を徴収する仕事)をしており、本格的に絵を描き始めたのは40歳くらいからとされています。基本的に、ルソーは本当に趣味で絵を描いていたので、通常の審査がある展覧会に飾られることはありませんでした。
そんなルソーを一躍有名にさせた展覧会が「アンデパンダン展」です。これは無審査、無償でかつ自由に出品することができる展覧会で、当時の世界においては画期的なものでした。ちなみにアンデパンダン展はその仕組みが脈々と受け継がれ、今でも世界中で開催されています。ルソーはこの展覧会に数々の作品を出品しました。
アンデパンダン展におけるルソーの作品の評価は決して良いものではありませんでした。その絵の前を通った者は皆絵を見て笑っていたと評されたくらいです。しかしながら、良くも悪くも彼の絵は注目されることとなりました。
ルソーの一つ大きな特徴があるとすれば、限りなく高い自己肯定感だと思います。
ルソーはその高い自己肯定感のおかげで、すっかり名画家の一員になったと思い、毎年のようにアンデパンダン展に絵を出品するようになります。そして49歳になると、これまで勤めていた入市税関の職を辞し、晴れて専業画家になったのです。
しかし、ルソーの作品はまともな評価を受けていたかというと、一般には評価は低く、絵が売れることはあまりなかったようです。
絵が売れないにも関わらず仕事を辞めてしまったルソーは、市に絵画研究と称して補助金を申請してみたり、ラヴァルの市長に絵を押し売りしてみようとしたりでお金を工面しようとして、いずれも失敗しています。これらの行動もいかに彼が自分の絵を高く評価していたかが伺えます。
そんな中でも、後世で名作として語られることになる作品も世に出ていきました。「眠るジプシー女」「戦争」「蛇使いの女」などは、現代の感覚で見ても幻想的で特別感があり、魅力的な名画です。
1908年、ピカソをはじめとする当時若手の画家や詩人達が集まり、アンリ・ルソーを讃える宴を催すようになりました。この頃ルソーは64歳でピカソは27歳。かなりジェネレーションギャップがありますね。11月に開催された「アンリ・ルソーの夕べ」で集まった人々の中には面白半分で集まった若者も多かったようで、若手アーティストによる半狂乱騒ぎだったというような記録も残っているようです。ピカソはどうだったのでしょうか。少なくともルソーは自らを讃えて開かれた宴を喜んだことと思います。
そして、この夜のことはピカソなど後に有名になるアーティストが多数参加していたことから、伝説の夜として語り継がれているのです。
今の感覚で言うと、20代を中心としたイラスト系のオフ会に参加するような感じでしょうか。
晩年、彼は突如銀行詐欺事件の関係者として逮捕されています。上述の通り、評価は分かれるものの先進性を追求する一部の人々からは評価を集め始めていた矢先のことでした。評価を集めていたとはいえ、相変わらず金銭面に余裕は無かったようですが、何もこの後に及んでそんなことしなくても…と思ってしまいます。信義の程は定かではないですが裁判でも一貫して騙されていたと主張していたようで、彼の純真な一面が出てしまっていたのかもしれません。
1910年、ルソーは最高傑作である「夢」を完成させます。筆者としては正真正銘の傑作であると考えています。そしてその「夢」をアンデパンダン展に出品してから半年もせず、足の壊疽を原因としてその生涯を終えます。
ルソーの人生を辿ると、彼がいかに人に愛され、人を愛していたかがよくわかります。

おすすめ名画「夢」

アンリ・ルソー – 不明, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10749748による

筆者が西洋絵画の中でも最も好きな絵です。鬱蒼としたジャングルの中に女性が横たわり、落ち着いた表情で目の前に広がる風景を見ています。女性の名前はヤドヴィガと言う名前。ルソーはこの女性について実在している女性であると述べていますが、本当に存在していた証拠はなく、真偽は定かではありません。また、ルソーはジャングルをテーマとした絵を頻繁に描いており、この風景についてメキシコ出兵の際に見た風景であると言っていますが、彼は出兵しておらず、実際はパリにあった植物園の木々を参考にしていたことが知られています。
なぜそのような嘘を吐いていたかはわかりません。しかしこのキャンバスの中には、間違いなくジャングルがあり、そこに疑いの余地はないのです。
この作品のタイトルが「夢(原題:La Rêve)」であることが運命であるように感じます。安直に「ジャングルに横たわる女」のような名前が付いていたとしたら、筆者もここまで心奪われなかったと思います。夢と現実の境のようなこの絶妙な世界観が、人々を魅了しているのだと筆者は考えます。

この素敵な絵は ニューヨーク近代美術館 (MoMA)に展示されています。
なかなか直接見に行くことは難しいと思いますが、 MoMAのこの絵が飾られている展示室は、「Google Arts & Culture」にて観覧が可能となっています。
観覧方法についてはリンクの記事にも載せていますので、一度見てみてはいかがでしょうか?

まとめ

アンリ・ルソーには他にも面白いエピソードや名画がたくさんありますので、別記事で少しずつ紹介していこうと思います。

参考文献:「アンリ・ルソー楽園の謎」岡谷公二 平凡社

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

ガジェットとアート好きな一般サラリーマン。生活を彩るおしゃれガジェットの情報、好きなアートについての雑記をメインにしています。

コメント

コメントする

目次